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株式会社ネプチューンデザイン
サンティッロ フランチェスコ
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トポ:イタリア猫のオス
フランコさん:イタリア人カーデザイナー

2009年04月06日

独立 17/17

「“この流れからみると次の行は「独立」と書きたいね。”と
僕の履歴書を書きながら子猫が言ったんだ。
独立なんて考えてことはなかったよ。
でも“独立”という言葉がはっきり頭に浮かんだら、離れなくなって。」

大胆な子猫ちゃん。

イタリアの場合、いいデザイナーはどんどん外に出て、
その会社のいいところを吸収しながらキャリアを積んでいく。
逆にキャリアのある人が流動することで、会社も成長していく。
しかしデザイナーはある時点で、積んだキャリアをどう活かすか
決めなければならないときが来る。

フランコさんはトヨタの契約が終了後、日本とフランスのメーカー
2社の試験に合格した。どこで独立するか。日本かフランスか、イタリアか。
「独立するなら日本で」
と強く思ったフランコさんは、ホンダに入社することを決意した。

「自分の本心に忠実に動いただけ。」
一人気張らず、時に流れに身を任せて進んでいるその道が、
自分の本当の進むべき道ということもあるのだ。

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2009年03月23日

クルマ − 情熱 = ただの箱 16/17

車(macchina)とクルマ(Auto)は違う。
今の日本で売れるのは、ボックスカーばかり。
四角くすれば当然、丸いクルマより容量は増える。
しかし、「はっきり言って格好が悪い。」
「冷蔵庫にタイヤがついている。」とも。
機能がよくて安いから売れるのであれば、
それはクルマの白物家電化だ。
注意しなければいけないのは、クルマは白物家電ではない。
クルマの購入意欲は、必要性以外の要素が大きい。
魅力ないクルマは、必要性のないユーザーから敬遠される。
所有することに喜びがあるから、高い駐車場代や保険料など
維持費がかかることを承知で人々はクルマを購入するのだ。

「エコのためにも省スペースにすべき。」
重量は、安全性だけではなく燃費に関係してくる。
大容量ならば、余分なものも詰めてしまうのが人間の性だ。
常に7人乗るのであれば、7人乗りもエコ。
しかし、7人乗るほうが稀なのであれば、非エコだ。
ミッション車も見直そう。

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2009年03月06日

イタリアのカーデザインの現場 15/17

「イタリアのコンシューマーは、デザインが悪いものには
見向きもしない。」たとえそれが以前売れていたクルマでも、
新車のデザインが悪ければさっさと違うメーカーに乗り換える。
美しくないものを1分1秒たりとも所有していたくないからだ。
カルチョ(サッカー)でも同じ。
昨日、いいパフォーマンスを見せて活躍した選手も、
今日ミスをして試合を落とせば、非難を浴びる。
とても厳しい環境の中で、デザイナーは生きているのだ。

「最近はわからないけれど、レンダリングに時間をかけない。」
レンダリングに時間をかけるということは、
時間をかけて聖書を清書するようなもの。
字(レンダリング)はうまくなるけれど文章(デザイン)は
うまくならない。

「意外かもしれないけれど、イタリアではチームプレーを
重視するよ。といっても少人数だけど。」
人数が多いとまとまらないのもイタリア。
転職も当たり前で、様々な経験を持つ人たちが集まっている。

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2009年02月27日

日本のカーデザインの現場4 14-4/17

若い日本メーカーのカーデザイナーは、
フルモデル製作の経験が少なすぎる。
最近は、経費削減でモデル製作から3Dデータ化へ
移行している。猫にとっても人間にとっても、
感触というのは物を認識する機能。
リアルサイズでモデルを製作し、
実際に見て触ってみることは、
PC画面で見るのとくらべれば雲泥の差だ。

モデル製作以前に、手描きスケッチの機会が少なすぎる。
いまでは「手描きは古いスタイル」といわんばかり。
トヨタでもホンダでもドラフトテーブルを使っていたのは、
フランコさん一人。ペンタブレットでPCに描いても、
ペンで紙に描いても同じ、と思うかも知れない。
けれど描き直す際に違いがでる。
ペンタブレットでは間違えたり、気に入らなければ
その部分だけ消去、変更することができる。
しかし手描きは、また一から描き直さなければならない。
絵がうまくなりたかったら、
手描きスケッチをたくさんこなすこと。
その後に、PCの操作を勉強する。

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2009年02月20日

日本のカーデザインの現場3 14-3/17

ロゴがなくてもどこのクルマかわかるクルマを作っている
会社は、デザインアイデンティティ確立に心血を注いできた。
似通った性能のクルマを他社と差別化するには、
デザインしかないからだ。日本車はどうか?
社内にではなく他社に似たようなクルマが存在する。
「日本人は、そのことにあまり疑問を抱いていない。
それは、民族の歴史に関係する気がする。」

ヨーロッパは、様々な形で他民族と交流し続けてきた。
最近では、通貨が統一され、ヨーロッパないならば、
飛行機も国内線になった。
しかし、僕らがイタリア猫であることは変わらない。
却って「ボクはイタリア猫だぁ」と主張する。
翻って日本人は、異民族と交流することに慣れていないから、
他民族のものがすべて新しいものに見えてしまう。
日本とは、日本人とはなにかと主張することがなかったから、
自身のアイデンティティについて自覚がない。
そう、アイデンティティを持たないのではなく、
自覚がないのだ。

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2009年02月14日

日本のカーデザインの現場2 14-2/17

もうひとつは、分業されすぎていること。
日本人は、なんでもコンパクトにしてしまうくせに、
コンパクトなものを作るのに、大きな組織を必要とする。
イタリアでは、デザイナーがアイデアからデザイン、
モデル製作、製品化まで関わる。
デザインをポンと渡してしまって変更されてしまうと、
デザイナーはその結果に責任が生じない。
「ボクのデザインと違うし」

「日本に来る前から気になっていたけれど、クルマ全体に
統一感がなくって、デザイナーの意思が感じられない。
それは、分業されすぎていて、デザイナーが製品化最後の
工程まで関わっていないから。
これでは、技術のことがわかるデザイナー、デザインのことが
わかる技術者がいなくなってしまうよね。」
イタルデザインが、単なるデザイナー集団ではなく、
モデル製作もセットで行う会社をコンセプトにしているのは、
ここにある。

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2009年02月06日

日本のカーデザインの現場1 14-1/17

「辛口かもしれないけどね。」前置きしてフランコさんは言う。
「アルファ、アウディ、BMW、ポルシェときけばすぐに
イメージが浮かぶけど、トヨタ、日産、ホンダと聞いて形が浮かぶ?」

「日本のメーカー内にいて感じたこと。ひとつは、先に完璧な
図面を引かなければ、前に進めないこと。これくらいの容量で
これくらいの予算で。初めから結果がわかっていることをすること
くらい、退屈なことはない。
しっかりとしたアイデンティティがあれば、過程の中での変更も
可能なのに。デザイナーが信頼されていない証。

アイデンティティ。機能性能のいいところが日本車のアイデンティティ。
裏を返せば、製品がすべて。日本のクルマは高品質なのに安い。
高品質なのだから、デザインという付加価値をつけて高く売らなければ、
いつまでたってもブランドは確立しない。
デザインも機能の1つだと気づいて欲しい。デザイン力が弱いと、
製品のイメージ力も弱い。」

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2009年01月30日

ホンダで学んだこと 13/17

 ホンダのクルマは、低床・低重心ミニバンで、容量は大きくても
コンパクトが特徴。
同じミニバンでも、低床・低重心はスポーティ感を与える。

 たった5年が過ぎただけなのに、時代は2Dから3Dへ移行していた。「PhotoShop」は当たり前。3Dソフトを駆使できるようになりたいと思い、「RhinoCeros」をインストールしてもらった。
インハウスデザイナーは、部内でかなり分業されてしまっているので、
3Dデータ作成まですることはない。設計者同士なら設計図で、
デザイナー同士ならスケッチで話ができる。
しかし、「独立したらデザイナーではない人にデザインを見せ、
説明しなければならないから、いまや3Dは必須スキルなんだ。」
フランコさん、そこまで考えていたんだ、と感心した。
それまでのフランコさんは、チャンスだと思えばすぐに行動に
移していたけれど、この時ばかりは独立という大きな目標があったから、
落ち着いていたね。

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2009年01月23日

ホンダへ 12/17

 2年でイタリアに帰るはずが、気がつけば5年目を
迎えていたフランコさん。どうやらこの間に
ニッポンの子猫ちゃんと結婚していた!
「僕は結婚しない」と言っていたのに。
トヨタとの契約は5年が満期。その後どうするか。
フランコさんはトヨタに残って会社員として
がんばっていくか、独立するか、真剣に考えた。

独立は、デザイナーにとって理想であり目標。
デザイナーって「僕は僕」と堂々と言え、批判を受けても
落ち込まない人でなければつとまらない。フランコさんは、
よく言えば自我が強く芯が通っているけれど、
悪く言えばずうずうしくてわがまま。
飼い主に媚を売らない僕たちネコと同じ。
そんなフランコさんを受け入れたのは、
日本でも自由な社風で知られるホンダだった。
今回もトヨタ同様、プロフェッショナル契約社員。
社員を希望していたので、不満だったのだけれど、
ホンダには、フランコさんの大好きなバイクがあるし。

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2009年01月16日

トヨタで 11/17

 フランコさんの勤務地は、豊田市本社。
東京でもその近郊でもない。トクガワの出身地。
徳川は、当時の都京都ではなく、片田舎の江戸を
首都として鎖国政策を図った。
「知らなかったけれど、その当時、イタリア人なんかも
宣教師として来日していたらしいよ。」
社会変動の少ない田舎に首都を置くことで、
300年も継続したんだなぁ、徳川の時代は。

 「トヨタの良いところは、人とのコミュニケーションを
大事にするところ。個人的には、本社に在籍していたこと。
そして独身寮に住んでいたこと。窓ひとつでトイレも
バスルームも共同だったけど、様々な部署の人たちと
交流できたよ。」

フランコさんは、イタリアではPCを使ってデザインを
したことがなかった。初めての社内コンペで、手描きの
デザインを提出した。みんな“新鮮でよかったよ”と
言ってくれたけど、郷に入っては郷に従え。
PhotoShopの勉強を始めた。ソフトは日本語、先生も日本人。

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2009年01月09日

トヨタへ 10/17

「これからしばらく、会いにこられなくなるよ。」
いつもと違う様子。僕ももう慣れっこで、
“次はどこに行くの?”なんてはしゃいで尋ねると
「ニッポン。2年後の冬に迎えに来るよ」。
そんなに?“ニッポンってどこ?2年後って?”

 それまでは、次の目標のために転職してきた
フランコさんだったけれど、今回は少し違った。
メルセデスドイツ本社へ異動の内示が出たから。
食事や気候に不安があった。
しかし、メーカー勤務の経験は、まだ満足いく
ものではなく「“寒くない土地の”メーカーへ」。
慌てて受けたトヨタの採用試験に受かってしまい、
日本へ行くことになってしまった。

僕は思う。このとき、フランコさんは導かれたんだ、と。
カーデザイナーとして、高級スポーツカーをデザイン
することは、華々しいこと。でも本当は、
「街で自分のデザインしたクルマがたくさん走っていたら、
どんなに嬉しいだろう。」
フランコさんは、いつもそう言っていたから。

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2009年01月02日

メルセデスへ 9/17

1995年11月、イタルへ戻ったフランコさん。
仲間も快く受け入れてくれた。再入社後すぐに、
プロトタイプFiat Formula 4を担当した。
今でも、カーデザイナーなら誰もが知ってい るクルマ。
人の記憶に残るようなクルマを担当することは、
イタルにいてもそう滅多にない。

フランコさんの仕事は順調だった。でも、バイクでは
あったけれど、メーカーで経験をしたフランコさんは、
カーデザイナーとして、企画から参加できるメーカー
経験の必要性を強く感じた。同じ会社でも、
外で異なる経験をした後に戻ってくると、
それまで見えなかったことが、見えてくる。

1998年7月、コモ湖畔にあるメルセデスデザイン
スタジオに移った。湖を見下ろす下宿。クルマはSLK。
MV Agustaを予約。パワーボートのデザインも
個人的にやったりして、この頃のフランコさんは、
生き生きしていた。
メルセデスからある内示があるまでは。。。

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2008年12月28日

ピアッジョへ 8/17

フランコさんは、1994年1月、イタルからピアッジョへ
転職した。ピアッジョは斜塔で有名なトスカーナのピサに
ある。ベスパVespaが有名だけれど、元々は船舶や航空機の
会社。第二次大戦後、二輪を開発、ヨーロッパ最大手の
バイクメーカだ。僕たちを置いて単身ピザへ転居したけれど、
毎週末トリノに帰ってきてくれたので、
僕らは寂しくなかった。

オファーの際、「大型バイクのデザインを・・・」と
誘われた。「デザインは憧れの対象でなければならない」
フランコさんにとって、バイクのデザインはまさに憧れ。
当時のピアッジョは、スクーターのみのラインナップ。
しかし、プラン延期でスクーターデザインの日々。
その上、「結婚を申し込もう」そう思っていた彼女が
彼の元を去った。メーカーは、お給料もよかったんだ。
フランコさんが失意のどん底にいることを聞いた
ジョルジェット・ジュジャーロが、
彼をイタルへ呼び戻した。

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2008年12月20日

イタルを去る 7/17

あんなに憧れて入社したイタルデザイン。それでも・・・。
フランコさんは、イタルに二度入社して二度退職した。
イタリアでは、転職してキャリアアップするのは
ごく当たり前のこと。

イタルに入社してしばらくすると、ジョルジェット・
ジュジャーロの元で仕事をする機会に恵まれた。
その上、クルマはMaserati3200GT。
まさに「GGの元でマセラティをデザインする」という
目標の第一歩。フランコさんにとって早すぎた目標達成
だったのかもしれない。

マセラティ3200GTは、フィアット傘下から
フェラーリの傘下となった第一弾のクルマ。
新生マセラティ。メーカーも力が入っていた。
フランコさんは、「デザイナーにとってメーカーの
経験は必要だ」と漠然と考えるようになっていた。
そんな時、あるメーカーから、オファーがきた。
「トポ、僕イタルを辞めて、引っ越すよ。」
でも僕は、フランコさんがイタルを去った
一番の理由を知っている。

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2008年12月13日

GGとの思い出 6/17

みんなの憧れイタルデザインでの仕事。でもお給料は
充分ではなかった。フランコさんは学生時代から
ずっと友達とルームシェアしていた。
その彼が突然、転居してしまった。フランコさんは
困ってしまった。家賃が払えなくなったから。
そんな時、ジョルジェット・ジュジャーロが
ある家を紹介してくれ、その家の1部屋を借りる
ことが出来た。僕たちネコのことも快く受け入れて
くれた。後にフランコさんが出て行ってしまった後も、
僕とミキはお世話になっている。
画家だった大屋さんのご主人の建てたこの家は、
らせん階段が真ん中を貫いている。

その後、2005年東京モーターショーで再会した
そうだ。2時間近く、会場内を案内した。
こんなに長い時間、GGと二人でお話したのは、
初めてだった。この時紹介されていた
FerrariGG50コンセプトカー。
「50年カーデザイナーをやってきて、
はじめて自由にクルマのデザインしたよ。」
GGほどの人でも。

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2008年12月05日

GGとは? 5/17

「ジョルジェット・ジュジャーロは、言うまでもなく天才。
僕のような新人の意見でも、よいと思えば認めてくれる
深い懐。技術あってのデザイン。飾るだけのデザインは
しない。クルマのデザインって、意外と窮屈で制約が
多いんだ。カーデザイナーは、パッケージからから
はみ出さないデザイン力が必要。
たとえば、見た目はコンパクトでも、容量は大きく。」
フランコさん、本当にGGを尊敬してるんだね。

Ferrari612のスカリエッティがベーズのFerrari GG50。
スカリエッティより全長は短いけれど、燃料タンクの配置を
リアシート後ろからトランク下へ移して、容量はそのままを
保ちながらコンパクトに見せている。さすがGG。

コンパクトがいいのはクルマだけではなく組織も同じ。
1台のクルマに大勢で携わると、そのクルマの個性は
乏しくなるし、出来の良し悪しの責任の所在が曖昧になる。
後にフランコさんは、そのことを思い知らされる。

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2008年11月28日

憧れの対象 4/17

「デザインは、憧れの対象でなければならない。そして、
実用的でなければならない。」
これも、ジョルジェット・ジュジャーロの教え。
フランコさんは、GGデザインのマセラティ・ボーラに
憧れて、クルマが好きになり、カーデザイナーになった。
クルマが、ただ人や物を運ぶツールに過ぎず、見る人が
憧れを抱くデザインを施さなければ、若い人がクルマに
興味を持たなくなる。「クルマが欲しい」と思う人は
減ってしまう。クルマは、洗濯機や冷蔵庫のように
絶対必要というものではないから、憧れのないところに、
後進は生まれない。コンシューマーを失えば、
デザイナーも生まれなくなる。

クルマはあくまでもかっこよくなければならない。
かっこいいとは何か。デザイナーは、その概念を
言葉の羅列ではなく、形で表現する。
「かっこいい」か「かっこ悪い」か。それのみが
判断基準。どうかっこいいのか、どうかっこ悪いのかの
議論はしない。不要だから。

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2008年11月21日

GGから学んだこと 3/17

「デザインって“美しい”だけじゃダメなんだ。それに
デザイナーは、アイデア技術者。アイデアから技術が
生まれることも多い。」これがフランコさんのベース。

 今ではデザイナースキル必須のレンダリング。
そのレンダリングも、ジョルジェット・ジュジャーロには
無用。レンダリングは、嘘や誇張が可能だから、
インパクト勝負。実際のクルマは再度デザインし直すことに
なる。それが「時間の無駄」。プロ同士なら、スケッチ
三面図で充分だ。雑誌などに見られるGGは、
とても穏やかだけど、仕事中は厳しく、激しい。
ドラフトテーブルを使って手で描く。
今では殆ど見られない光景。「僕は今でもドラフトで
デザインしているけどね。GGもそうさ。」

 デザイナーは、コミュニケーション能力が必要。
モデラー、エンジニアとの三角連携。エンジニアとモデラー
だけなら線は1本。そこにデザイナーが加われば、
線は3本になって、面積を持ち、一気に幅が広がる。

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2008年11月15日

2社目 イタルデザイン 2/17

1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員と
なった。南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、
外国人も多いから気にはされなかった。スペイン人、
韓国人、そして日本人も2人いた。

 イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらい
しかいない。それだけの人数で、世界中のクルマをデザイン
していた。3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての
工程をこなす。「イタリア人は働かないって日本人は言う
けれど、何を見てそう思うのだろうね?」

 フランコさんはいつも忙しく、土日の出勤も多かった。
けれど、「充実しているよ」。入社して初めてわかったこと。
それは、イタルに入社したからといって、ジョルジェット・
ジュジャーロと共に仕事が出来るわけではないということ。
「GGが、デザインルームに現れるだけで、空気が変わるんだ!
GGの下で仕事がしたいなぁ」と、彼は目を輝かせながら
僕に話してくれた。

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2008年11月07日

転職の理由 1/17

フランコさんは、現在に至るまで何度も転職をしている。
ヨーロッパでは、転職をすることは、その会社の
良いところを巻き取って、次へ移っていくキャリアアップ。
「日本では、ネガティブイメージなんだ。」
僕だって、彼の転職のたびに
「どうなっちゃうんだろう、僕たち」
と不安に思ったものだ。

イタリア人のフランコさんが、どうして転職をし、
日本で起業するに至ったか。
日本人には新鮮かもしれない・・・とネコなりに考えて、
皆さんに紹介したく、
改めてフランコさんにインタビューしてみた。
そこからわかったこと。
“現状に満足しない。” 多かれ少なかれ、
今の会社や仕事に不満はあるかもしれない。
でも他に移ったところで大差はない。

転職先が、外から見ていたのとは違う場合も多い。
「キャリアアップのための転職は、デザイナーとして
確固たる信念がなければならないのだ!」

時々、あれっ?と思う転職理由もあったけれど、
僕の気のせい?フランコさん。

カーデザイナーまでの軌跡
http://nep-design.sblo.jp/article/17861282.html
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