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株式会社ネプチューンデザイン
サンティッロ フランチェスコ
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トポ:イタリア猫のオス
フランコさん:イタリア人カーデザイナー

2008年10月31日

カーデザイナーに 13/13

 仕事はとにかく忙しかった。カメラや電車、クルマのリアなど。
あるときフランコさんは、テレビのニューススタジオを
デザインした。何パターンかのアイデアを提案したところ、
その1案がGGの目に留まったのだ。

フランコさんの目標は、カーデザイナー。
GGの元でカーデザインの仕事をすること。それまでにも、
自身の作品をたくさん描いてGGの元へ持ち込んでいた。
同僚たちもみな同じだ。GGから直接、
「私の元へいらっしゃい。イタルデザインへ。」と言われた
ときは、震えが止まらなかったそうだ。
フランコさんが、念願のカーデザイナーとなった瞬間だった。
パパは、そんなフランコさんを誇りに思ったに違いない。
やる、と言ったらやる子だ、と。

イタルデザイン入社のきっかけとなったスタジオセットは、
日本の仕事だった。まさか、めぐり巡ってその後、自分自身が
日本で働くことになるとは、さすがのフランコさんも
想像できなかったようだけれど。

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2008年10月24日

就職 12/13

フランコさんは、カーデザイナーになりたいという強い信念と、
家族に犠牲を強いて進学した。結果を出さなければスカレアへ
帰れない、というプレッシャーを自らに課し、トップで卒業を
果たした。そして、ジュジャロデザイン関連のデザイン会社へ
就職が決まった。ジュジャロデザインは、クルマ以外の
プロダクトをデザインする会社。クルマのデザインは、
イタルデザインが行う。もちろんトップはどちらもGG。
カーデザイナーではなかったけれど、GGには一歩近づいた。

GGは、Car Designer of the Centuryに輝いたカーデザインの
第一人者。フィアット、ベルトーネ、ギアと渡り、30歳で
イタルデザイン社を設立した。マセラティボーラのデザイナーだ。
「GGの元でマセラティのデザインをする。」他人には、夢のまた夢
だけれど、フランコさんにとってはやはり、目標だった。

1989年10月。スカレアの家にはテレビを送った。

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2008年10月17日

南北問題 11/13

 イタリアは、南北に長い。フランコさんの故郷スカレアから
トリノまで1000km以上、日本でたとえれば、東京から下関。
残念ながらイタリアには、南北で大きな経済格差がある。
北は、工業が盛んだけれど、南は、農業が中心。
失業率も南は北の4倍とも言われる。
北が支払う税金で、南は賄われている。

当初フランコさんは、カラブリア州の方言しか話せなかった。
トリノではピエモンテ州の方言で話す。
「イタリア語が話せないのか?」
南出身者に対して「テローネ」という侮蔑用語で呼ぶことがある。
カルチョでも、時々聞かれる言葉だ。フランコさんは、
北で暮らして初めて、南北の置かれた違いを肌で感じた。

同級生の殆どは、親元からか通う人たちだ。学校が終わると、
パーティーだ、コンパだとみんなが教室を後にしても、
フランコさんは、彼らと一緒に行動することはなかった。
ただひたすら、花屋のバイトと絵を描く2年間を過ごした。
もちろん、彼女なし。

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2008年10月10日

トリノへ 10/13

 家族以外、歓迎してもらえなかったフランコさんのトリノ行き。
誰一人、フランコさんがカーデザイナーになれるとは
信じていない。ノートと鉛筆をカバンに詰め、一人電車で
トリノへ向かった。国鉄マンのパパのおかげで、
鉄道は25歳になるまでタダ。貧乏学生だったフランコさんも、
スカレアには何度も帰ることが出来た。

 フランコさんが通ったのは、Instituto D'arte Applicata
Design Torino通称IAAD。学校の講師はFIATなどのメーカーや、
ピニンファリーナやイタルデザインなど有名カロッツエリアで働く
現役カーデザイナーたち。この学校を卒業した人たちが殆どだ。
彼らは、仕事を終えてから教えに来る。だから夜間。
現役カーデザイナーから、直接指導を受けられることは
すばらしい体験だ。更に将来、カーデザイナーになれば、
その後の人脈にもなる。
フランコさんも後に、母校でデザインを教えた。

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2008年10月03日

パパの思い 9/13

「ただ証明したかったんだ。夢ではなく、目標なんだ」と。
しかし、実際合格してみると、学校に行きたい気持ちが膨らんだ。
でも、諦めるしかない。入学金や学費、生活費が、パパの年収を
超える高額。卒業しても、確実に仕事に就けるか不透明。
3人の弟。許されるはずはなかった。

「合格通知が届きましたが、息子は御校へ入学できません。」
パパが学校へそう電話している傍らで、フランコさんは
窓から外を眺めていた。パパが受話器を置いた。
「今からトリノのおじさんのところへ電話する。フランコ、
2年間おじさんの家にお世話になれ。」
耳を疑った。目が熱くなった。

 学校はこう言ったそうだ。
「学費はすぐでなくていいですから、フランコを我が校に
預けてください。」好きだった仕事を辞めて、家族を養ってきた
パパの決断。フランコさんは、1987年無事学校へ入学を
果たす。ちょうどそのころテレビが壊れた。
2年間、スカレアの家にはテレビはなかった。

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2008年09月26日

受験 8/13

学校は、新入学をあと1ヶ月に控えた7月だったため、
すでに応募人数を確保していた。


そんな時期の入学希望。「こんな時期に学校に入学しよう
なんて、無知で短絡的な典型的南の田舎者。」
しかし、彼は敢えてこの時期を選んだのだ。
就職活動も一切せず、クルマの絵ばかりを描いて過ごし、
諦めた先生や家族に見向きもされなくなった、
高校卒業後のこの時期に。
他人には、無謀な賭けのように思えるけれど、
フランコさんには、絶対の自信があった。
「その自信がどこからきていたのか、わからないけどね。」

 無理矢理、作品を携えて学校へ乗り込んだ。
コンペの入賞作品、今まで描きためていた作品の中から、
より選ったものを提出した。教官はそれらを丹念に見たあと、
1つだけ質問した。「絵はどこで学んだのか。」
小学生のときに1年だけ近くの絵画教室に通った、と答えた。
面談は終了し、スカレアへ戻った。
帰宅して数日後、合格通知が自宅に届いた。

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2008年09月19日

交通事故 7/13

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 その朝、フランコさんはいつも通り道を走っていた。
愛車モペットで。横から出てきたクルマに撥ねられた。あっさりと。
僕たちネコが起こすアクシデントみたいだ。バンパーと衝突した
大腿骨を骨折。全治3ヶ月。要入院。先生たちに睨まれていた
フランコさんは、事情を考慮されることなく、これまたあっさりと
留年が決まった。

 3ヶ月の入院生活。足がいうことを利かないから、ベッドに
横になっているしかない。出来ることといえば、自動車雑誌を
読みふけることと絵を描くこと。学校の勉強は一切することなく、
3ヵ月後退院し、新しい同級生たちと共に2度目の4年生を迎えた。
でも、授業中はクルマの絵ばかり描いていて、やっぱり先生に
しかられていた。雑誌に載っているカーデザインコンテストには、
すべて応募し、何度か入選した。それだけで嬉しかった。

 友人達が就職を決める中、彼は就職活動をしないまま5年生を
終え、トリノの専門学校に応募した。

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スカレアの青の洞窟


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2008年09月16日

高校時代 6/13

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フランコさんは、高校まで、3人の弟たちと共に親元で過ごした。
家から70Kmも離れた工業高校の電気機械科。デザインには、
まったく縁はない。お小遣いはすべて、自動車雑誌に消えた。
絵は、独学で続けた。

南イタリアには、学校はおろか、仕事がない。
働かないのではなく、働くところがないのだ。
産業は、北イタリアに集中している。
スカレアは、その北の人々が夏のバカンスを過ごす別荘地。
そこで生活をしているフランコさんたちには、バカンスはない。
彼が電気機械科を選択したのも、堅実な将来を見据えたためだ、
と周囲は思っていた。
しかしフランコさんは、諦めてはいなかった。

「カーデザイナーになりたい」。絵を描いていれば
「夢で飯が食えるか!地道に働くことを考えろ!」と
先生たちに目の敵にされた。
味方は、右手に握られている鉛筆1本だけ。

 ある日突然、フランコさんは人生の大きな転換期を迎えた。
高校4年を留年した。
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2008年09月05日

思い出 5/13

乗り物といえば、僕には思い出がある。フランコさんは、
バイクが好きだ。少しでも操作を誤れば、すぐに転ぶ。
「自分が、バイクをコントロールしている」
という実感が、たまらなく好きなのだそうだ。
僕はといえば、バイクはただうるさいだけ。
ガレージにいると突然、「ドドーンドンドンドン」。
僕は、土日はガレージ近づかなかった。

 ある朝、フランコさんはいつも通り、僕の頭を撫でて
部屋を出て行った。もちろん、僕もいつも通り、
ガレージへはついて行かなかった。
ところが、フランコさんは、その日も、また次の日も
帰ってこなかった。ずーっと、帰ってこなかった。
「捨てられたんだ」たまらなく悲しくて、ミキと泣いた。

 フランコさんが出て行ってから、3週間がたったある日、
エンジン音が聞こえた気がして、テラスへ出てみた。
ガレージの前にフランコさんがいた。僕はそれ以来、
バイクのシートを陣取っている。いつ帰ってくるのか、
彼に確認する為に。

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2008年08月29日

故郷 4/13

スカレアは、サプリから更に40kmほど南へ下ったところに
位置する町。夏になると、イタリア内外からバカンスを楽しむ
人々がやってくる。

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スカレア夏の海岸


何kmも続く海岸には、パラソルの花。すぐ裏の山の斜面を
這うように上る階段の脇には、古い石造りの家々が並ぶ。
スカレアがスカーレ(階段)、スカレアと名づけられた由縁だ。

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スカレアの古い町並み


僕は、トリノから出たことがない。だから、スカレアを知らない。
僕とミキの子供たち、トムとジェリーは、スカレアで暮らして
いる。青い海、新鮮な魚、子猫ちゃん。。。
ネコにとって、スカレアはパラダイスだ。

 パパの新しい仕事は、イタリア鉄道FS(旧国鉄)の鉄道マン。
手先の器用なパパは、メカニックとして働いた。しばらくして
「運転してみる?」。そして、運転手となった。

フランコさんは、パパの運転する電車によく乗せてもらった。
通勤のバイクにも一緒に乗った。フランコさんは、乗り物
すべてが、大好きになった。

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海岸から見たスカレアベッキア


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2008年08月20日

子供の頃 3/13

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1歳の誕生日 おじと


フランコさんは、ローマ生まれだけれど、すぐにパパの故郷、
南イタリアのサプリに移り、10歳までそこで過ごした。
青い海、静かな美しい港町。

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4歳のころ


パパは、鉄細工の職人をしていた。門やバルコニーなどの
鉄の装飾だ。鉄をトンカンと叩き、美しく仕上げていく
パパの傍らで、自転車をいじったり絵を描いたりしていた
フランコさん。デザインは、いつも彼の身近にあった。

5歳のとき、小さな街で見かけたスポーツカー。ドアサイドには、
Giorgetto Giugiaro。「自分の名前が入ったクルマに乗って
みたい。」これが、カーデザイナーを目指すきっかけだ。
それ以来、鉛筆を持てばクルマばかり描いていた。もちろん、
ドアには、Santillo Francescoとサイン。

パパは、鉄細工の仕事が大好きだったけれど、家族のために転職
した。そして、ママの故郷、スカレアへ移った。
今もサプリでは、パパの作品を生活の中に見ることができる。

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サプリの市場


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2008年08月15日

出会い 2/13

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家から見たトリノの景色

僕が、初めてフランコさんと出会ったのは、1991年秋。
僕は捨てられて、一人途方にくれていた。目だけ光った
真っ黒なネコに、誰も振り向かない。でも、フランコさんは、
まっすぐ歩み寄って僕を抱き、家まで連れていった。
彼は、憧れのイタルデザインに入社したばかりのころだった。

フランコさんは、ジョルジェット・ジュジャーロ(G.G)を
「仕事の父」と呼ぶ。フランコさんのデザイナーとしての
基礎のすべては、G.Gから学んだものだ。
もっと遡れば、カーデザイナーを志したきっかけは、
5歳のときに見たマセラティボーラだ。

僕たちの住むこの家の大家さんは、G.Gの知り合いだ。
ルームメイトの突然の退去で、家賃が払えなくなり、
アパートを退去しなければならなかったフランコさん。
そんな彼をG.Gが救ってくれた。そして、僕も救われた。
彼には、僕が彼自身とダブって見えたのかもしれない。
みんなから、少し距離を置いている黒ネコの僕が。





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2008年08月11日

再会 1/13

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フランコさんと僕

何年ぶりだろう、フランコさんに会うのは。
彼がイタリアを離れてからだから、5年ぶりだ。
ちょっぴり太った以外は、変わっていない。フランコさんだ!

僕の名前は、Topoトポ。Topogigioトポジージョのトポ。
ねずみのジージョ。でも、僕は真っ黒なネコ。
フランコさんは、捨てネコの僕を拾って育ててくれた。
そして僕のために彼女まで探してくれた。彼女の名前は、
Mickyミキ。そう、ミッキーマウスのミキ。

フランコさんのフランチェスコという名前は、アッシジの
聖フランチェスコが由来だ。この聖人は、動物と話が出来た。
フランコさんもしかり。僕たちは、何でも話した。
ニッポンのこと。そこで出会った子猫ちゃんのこと。

フランコさんのこれまでの人生を、ネコの僕が綴ってみたいと
思う。僕が一番彼を知っているし、理解しているからだ。
適任だ、と自負している。心配は。。。
ネコにブログが書けるのか?

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